〈読書日記〉『死神を食べた少女』七沢またり
タイトル 死神を食べた少女 上下
著者 七沢またり
イラスト チョモラン
〈あらすじ〉
「あなた、とてもおいしそう」
貧しい村に生まれた少女は、自分を襲う解放軍兵士の後ろに「おいしそうな」死神の姿を見た。
死神の鎌が振り下ろされるよりも早く、少女は死神をたいらげた。
死に行く者の野心欲望を刈り取る死神が、食欲に突き動かされた少女に敗北した。
少女の名前はシェラ。
貧しい村に生まれ落ちた、人よりちょっぴり食欲の多い少女だった。
そして、彼女は王国軍の兵士となり、数多くの解放軍兵士の命を葬り去った。
いつしか彼女は、残虐非道の「死神」として人々から恐れられるようになる。
憎き解放軍を倒すため、美味しい食事にありつくため、彼女は今日も血塗られた鎌を携え戦場を駆けるのだった。
〈感想〉
こんなにも心奪われた作品に出合ったのはいつぶりだろうか。
これまで多くの素晴らしい物語に出会ってきた。
大森藤ノ著『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』、入江君人著『神様のいない日曜日』、あさのあつこ著『NO. 6』、松山剛著『雨の日のアイリス』などなど。
いずれの本は「おもしろい」という次元を超えて、私が夜の睡眠時間を削ってまで読んだ傑作たちだ。
今日、私の心に残った傑作集に新たな物語が追加された。
それが今日紹介する七沢またり著『死神を食べた少女』だ。
「息をするのも忘れる」というのはこのことかというくらい、物語を読んでいてこの本から目が離せない。
いつのまにかこの本の世界観にのめり込み、気が付くと登場人物に感情移入している自分に驚き、思わず時間の感覚を忘れ、そして読み終わり、途方に暮れた。
この本の一番の特徴は主人公が「圧倒的な悪役」である点だと私は思う。
いままで読んできたファンタジーは人々を苦しめる悪の組織に、正義に燃える主人公が立ちはだかる幾多の壁を乗り越え、立ち向かっていくというものが多かった。
その過程で主人公は、新たな仲間と出会い、ときに別れ、自分の正義と目の前の現実に葛藤し、愛おしいヒロインと恋に落ち、旅で得た様々な経験を胸に悪役を倒すことで、読者の心を惹きつけていく。
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』などは、その典型例といってもいいだろう。
しかし、『死神を食べた少女』は上記の物語とは一線をかくする。
まずこの本の主人公・シェラに「正義」や「慈悲」は存在しない。
嬉々として敵の命を奪っていくその姿は、まさに悪役と呼ぶには申し分のない「死神」である。
しかし、私たち読者はこのこの物語を読み進めるうちに、敵の返り血に濡れ、冷酷非情ともいえる主人公・シェラに、いつしか心惹かれてしまうのだ。
人々から畏怖嫌厭(いふけんえん)の念を抱かせる圧倒的な悪役に、なぜ私たちが心惹かれるのか、この疑問を少し解決してくれるようなセリフが、実は本文に存在する。
それは主人公シェラの右腕、指揮官カタリナの独白。
『シェラの生きざまにカタリナは強く惹かれた。そして、死ぬのならばこの人のそばがいい。シェラの生きざまだけでなく死にざままで見届けたい。英雄であり”死神”と畏怖されるシェラが、どのような最期を迎えるのか。そんな考えを持ってしまう自分は狂っているのだろうか』ー本文より抜粋(少し加筆)
彼女の独白はこの物語の核心を突いていると私は思う。
彼女のもとに多くの者が集まってくる。
ある者は彼女に私淑し、ある者は導きを求め、ある者は彼女に助けられ、ある者は彼女の力になりたいと、水の中で空気を求めてもがくように人は彼女のもとに集う。
彼らに共通しているのは、シェラが歩む道を絶やさんがために集まってくることだ。
たとえ己の命が舞い散る木の葉のようにはかなく散りゆく定めだとしても。
私たち読者も同じだ。
読み始めた当初の彼女に抱いた畏怖の念は、いつしか彼女に対する憧憬へと変わっているのだ。
そして私たち読者は、彼女が歩んでいく道のりをかたずを飲んで見守る。
彼女の果てにあるものは救いか、それとも破滅か。
それを見定めるためるために。
悪は必ず正義に打ち滅ぼされる。
それは多くの物語で約束された絶対的な法則である。
彼女がどのような最期を迎えたか、気になる方はぜひ『死神を食べた少女』を一読してみてほしい。